オープンソースコミュニティという言葉を考える

北海道で何かイベントがあるらしいとircで聞いていた。で、ITmediaにそのイベントと思われるレポート記事が出ているのを見付けたが、これを読み何故か異和感が残っていた。別に内容におかしなところはない。むしろイベントレポートとしてはそれなりによくまとまってるように思う。だが、しばらくしてようやく分かった。「コミュニティー間のつながりを強化することを目的としており、16のオープンソースコミュニティーが参加」という部分だけが私には引っかかっていたのである。

せっかくのレポート記事をダシに使ってしまったようで申し訳ない書き出しではあるが、コミュニティという言葉が人によって揺らぐことを私はずっと奇異に感じていた。この記事のコミュニティという言葉の使い方はおそらく何々プロジェクトなり何々ユーザ会なりといった組織のことを指している。コミュニティー間という言葉と16という数字からそれが何となく分かる。それはそれでコミュニティであることには違いはないので実はこの表現で悪いというわけではない。

しかしながら、私がこの表現を奇異に感じるのは、組織という枠でコミュニティが切られてしまうように感じるからだろう。(MLを読むなりでも)その組織に属していなければ、まるでコミュニティの一員でないというように思えてしまうということである。

私がオープンソースコミュニティという言葉を使う場合は、もちろん開発者は必要だが、その他にユーザ(開発者のようなユーザもいれば、フリーライダーもいる)もいるし、それを使う法人(企業)という人々もいる。この中でも様々な立場の人がいるだろうが、オープンソースという世界の中で少しでも何らかの利害関係があるのであれば、その方はオープンソースコミュニティの一員だと私は考えている。その中では思想の違いといったことで区別されるようなこともないし、コミュニティの一員であるかどうかは実に愛昧なものである。組織とは違って、実に線の引けない幻的な存在でもある。ということで、16個のオープンソースコミュニティって何?的な感情が出て来るのだろう。

ここで思い出したが、98年から99年にかけて日本Linux協会を設立するにあたって走り回っていた頃、組織の目的、理念や設立プロセスを揃える段階で「Linuxコミュニティとは何ぞや?」というところにぶちあたった。目的にはコミュニティ全体の窓口なり、コミュニティ全体の資産管理なりといったことを書いていたわけだが、そこでそもそもコミュニティって何?となったわけである。なにせ当時の私は一介の若僧でしかも金沢が職場ということもあって大変だったわけだが、そこで出来上がった文章が今も残っているLinux環境とはという文章である。今読み直すと、どうなんよ、これ…、と思うような表現もあるわけであるが、当時の状況でこれがイッパイイッパイだったのだと思う。しかしながら、コミュニティというものへの考え方は今の私の考えを大差があるわけではないし、環境という言葉を使ったのはたしか当時の状況ではコミュニティは企業を否定するものというイメージがつくことを企業を説得するのあたって恐れた関係者がいたのと、あとはコミュニティという言葉では人ではなく空間的なイメージを追及したというだけのことである。まあ、今なら堂々と全ての関係者を指す共同体、それがコミュニティ、とだけ言い切ってるだろうが。

昔話はさておき、コミュニティという言葉の使い方が揺らいでいることを自分でも分かっているからか、私はここ数年はコミュニティという言葉を多用しなくなってきたように思う。無意識にいわゆるプロジェクトやユーザ会というような枠組みを指すコミュニティという言葉との混同を避けているのだろう。

全てのオープンソースの共同体を指す言葉としては「オープンソースの世界全体」や「界隈」といった表現を使ったり、開発を念頭に置くときは「開発者コミュニティ」や「グループ」といったりで、ストレートにコミュニティという言葉を使うことがほぼなくなっているように思う。

そういえば、昔は「私はコミュニティとは関係なくビジネスをやっている」、「私はコミュニティに属せず一人で貢献する」と発言する方がよく見受けられ、そのたびに「君らもコミュニティには違いないだろ」と頭を抱えていたわけだが、今はそうでもないのは自分の中で切り分けができているのかもしれない。ま、90年代のことであるが。

コミュニティという言葉は昔は気に入って多用していたが、やはり私の中のオープンソースコミュニティは単なる(金銭とは限らない)利害を共にする共同体のことであり、オープンソースというものの性質上からも実に夢幻の如くの存在である。しかしながら、世間でコミュニティという言葉が私の考えとは違うところで固定化するのであれば、やはり違う表現を見付けるしかないのだろう。最近、オープンソース経済という言葉も使っているが、経済活動のベクトルを抜いた単なる場的なものを表す表現としては「オープンソース社会」というのもアリなのかもしれない。まあ、けどコミュニティという言葉はやはり使ってしまうのだろうな。便利だし。

佐渡 秀治 について

President & CEO, OSDN K.K.
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